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終わらない厨ポケ狩り 〜「厨ポケ狩り講座」10周年に寄せて〜

ニコニコ動画に「厨ポケ狩り講座」という動画が最初に投稿されたのは2009年5月25日未明のことだった。

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もこう氏がこのデビュー作を投稿してからちょうど10年が経過し、2009年5月から2010年9月までの約1年半で投稿された全53件の動画シリーズの総再生回数は現時点で4000万回近くにのぼる。*1
10周年に際して、この動画シリーズが人々から支持された理由について考察してみたい。

■厨ポケ狩り講座とは

「厨ポケ狩り講座」は、Wii専用ゲームソフトの「ポケモンバトルレボリューション」(バトレボ)をもこう氏が実況プレイした動画になっている。*2
バトレボには、インターネットに接続することで世界中のプレイヤーとオンラインでポケモン対戦が出来る機能があった。*3

オンライン対戦は、指定した相手と対戦できる「フレンド対戦」と、サーバーに接続しているプレイヤーとランダムにマッチングされる「ランダム対戦」の二種類があり、動画では基本的にはランダム対戦を扱っていた。

この動画のテーマは、もこう氏が講師として講座を開き、「厨ポケ」*4に勝利する方法を指南するということである。

ポケモンバトルの経験をそれなりに積んできた僕が、厨ポケと呼ばれる強力なポケモンの攻略法(突破法)を伝授していきたいと思います。*5

 

■「厨ポケ狩り講座」の意義

この動画が多くの視聴者の心を捉えた理由の一つは、なんといっても動画の盛り上げ方の巧さだろう。歯に衣着せぬ発言や、視聴者からのツッコミを誘う発言など、人々の心に残る数々の「名言」が動画を彩っている。*6

しかし、そういった面白さの観点では既に様々な形で語られていると思われるため、以下では違う切り口からこの動画シリーズの意義を確認していきたい。

 

■オンライン対戦と心理の「読み」

2009年当時、ゲーム実況というジャンルで人気を博している動画はこの「厨ポケ狩り講座」以外にもいくつもあった。しかし、他の人気動画が軒並みアクションゲームやRPGなど用意されたゲームを攻略していこうとするものだったのに対し、この動画は「オンライン対戦」であり、ネットワークの向こうに生身の対戦相手が存在したことが他と異なる点だった。
生身の人間とネットワークを介して対戦するということは、「読み合い」が発生するという点でコンピューターとの対戦とは決定的に異なる。相手が何を考え、次にどのような選択をするかを読んだ上で的確な手を打たなければならない。
動画の中では、その読み合いが重要なテーマとして登場する。例えば、もこう氏は「読みレベル」という言葉を用い、相手の行動を読む上では相手がこちら側の行動をどこまでのレベルで読んでくるかを見極める必要があるということを示唆している。また、マイナーポケモンを使う際には、単純に攻撃を重ねるだけでは厨ポケを突破することが困難な場合が多い。そこで、もこう氏は「神読」と称する高度な読みテクニックを駆使することを厨ポケを攻略する方法の中でも重要なファクターとして位置づけた。
それ以外にも、相手からの読まれづらさを重視した「両刀」の技構成を推奨するなど、至るところで彼は「読み」について言及しており、複雑さや偶然性を含んだ読み合いという面から対人戦の醍醐味を伝えていることがこの動画の魅力になっている。

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■ゲームと対戦マナー

バトレボ対戦動画も、発売から間もない2007年頃から何名もの投稿者によってアップロードされており、それ自体はゲーム実況動画と同様に決して新しいものではなかったが、数あるバトレボ動画の中でも厨ポケ狩り講座は最も人気のシリーズとなった。またバトレボポケモンのゲームとしては「第四世代」に属するものであり、2019年現在の「第七世代」から見るとかなり古い内容に見えるが、現在に至ってもこの動画は一定の支持を集めている。
それは、この動画の示唆するところが単に第四世代のポケモンに関する内容にとどまるばかりではなく、それより後の世代のポケモン、ひいては他のオンライン対戦ゲーム全般に通じるような普遍性のあるものになっているためではないかと考えている。
生身の人間とオンライン対戦する中では、上で述べたような読み合いの面白さとは裏腹に、相手のマナー違反などから不快感を覚えることもある。この動画では、オンライン対戦にそういった負の側面があることを率直に伝えている。例えば、不用意に試合を長引かせて泥試合化させるような「泥沼糞耐久型」の構成のポケモンを使うことや、自らの勝利が確実となった段階でもとどめを刺さずに試合を長引かせようとする「舐めプ」、相手のパーティの複数のポケモンを眠り状態にして相手の行動を完全に封じること「複数催眠」などの行動に対してもこう氏は怒りをあらわにする。
また、このシリーズが脚光を浴びるきっかけとなったのは「切断」を巡る内容である。第二十二回にて、もこう氏は自らの手でネット回線を切断し、進行中の試合を強制終了させた。自らタブーを犯す様子をパフォーマンスとして動画に収めたということには他の動画には無い話題性があったと同時に、自身でも「一線超えた行為」と断じているが、オンライン対戦の前提とも言えるネット接続を切るというゲームのルールを超えた行動については数多くの論議を巻き起こすことになった。

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ランダム対戦では見知らぬ相手と対戦することになり、その中では相手の行動の身勝手さによってゲームを楽しくプレイできない状況に陥ることも多々ある。2000年代後半は家庭用ゲーム機にネットワーク機能が搭載され、ネットを介して不特定多数と楽しむことのできるゲームが普及しはじめた頃だった。バトレボに限らずゲームというものが一人プレイや、目の前にいる何人かとプレイするだけのものから、ネットの向こうの匿名の相手とプレイするのが一般的になってきた時代、ゲームの愛好家たちはそういったストレスに直面し始める時期だったのだろう。
もちろんもこう氏の歯に衣着せぬ発言を暴言と捉え、批判する視聴者も少なくはない。だが、対戦相手に対して不満をぶちまける彼を自らの代弁者と捉え、支持する視聴者もまた多かったのではないか。

 

■まとめ 〜ポケモンバトルの楽しさの追求〜

もこう氏はこの動画シリーズにおいて一貫して、インターネット上の情報を鵜呑みにした「テンプレ型」の厨ポケを使って「ごり押し」することや、ルールやマナーに反した行動をとってでも勝率を上げようとする姿勢を批判してきた。
そしてそのようなプレイよりも、自分の好きなポケモンを使用すること、そして(そのポケモンのスペックが高くなかったとしても)最大限にそのポケモンの能力を活かすよう自ら考えて戦略を立て、(「ごり押し」ではなく)高度な読みスキルを駆使することで勝利するということにポケモンバトルの本質的な楽しみを見出し、実践しようとした。動画の面白さという側面だけではなく、自律的に考えるという点で本質的な楽しさを追求しようとする、その姿勢こそが人々の潜在的な欲求を喚起し、この動画が多くの支持を集めることに貢献したのではないか。

*1:これは以下のプレイリストに含まれる動画の再生回数を大まかに計算した数値だ。https://www.nicovideo.jp/mylist/12734389

*2:最終回だけはちょっと趣向が違うが。

*3:2019年現在では既にサービスが終了し、このソフトでのオンライン対戦は不可能になっている。

*4:数あるポケモンの種族の中でも、スペックが高いものを指す。戦術を練らずとも容易に勝利できるため、中学生=厨房が好んで使用するというところから由来している。

*5:https://www.nicovideo.jp/watch/sm7146062

*6:https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%82%E3%81%93%E3%81%86%E7%99%BA%E8%A8%80%E9%9B%86

平成の音楽とはどういったものだったか(2004年の音楽から考える)

平成が終わってしまう。平成とはどんな時代だったのかということを考えてしまう。平成という時代で括ることに意味はあるのかと言う人もいるけれど、全く意味がないわけではないと僕は思う。

明日(4月1日)になれば次の元号のことを考えてしまうだろうから、今日(3月31日)のうちに何か考えておきたいと思った。僕が書けそうだと思ったのは音楽のことだ。平成の音楽とはどういったものだったのかを考えてみたい。

とは言うものの、1989年から2019年に流行った曲を今から聴いていたのでは間に合わない。そこでかなり乱暴ではあるが、対象を絞り込んでみたいと思う。

平成時代は1989年1月8日から2019年4月30日までの11070日になる予定で、「平成のど真ん中」となるのは1989年1月8日から5535日後の、2004年3月5日だ。そして、その「平成のど真ん中」の頃に流行っていた音楽を聞けば、平成の音楽が、また平成という時代がどういったものだったのかをなんとなく考えることができるんじゃないか。

そう考えて、以下のページで2004年01月〜03月頃の「月間シングルCDランキング」を見て、気になった音楽をピックアップすることにした。

※以前はオリコンやTBSの「CDTV」のサイトで昔の週間チャートが見られたはずなのだが、今は見られなくなっていた。

オリコン(oricon)「2004年03月」の月間シングルCDランキング - JPOP無料視聴PV

スピッツ - スターゲイザー

僕はスピッツびいきだから、どうしてもこの曲をピックアップしてしまう。

スピッツは平成を代表するバンドの一つだと思う。平成の全期間を通じて活動し、日本のロック系の音楽にも広く影響を与えている。

テレビのバラエティ番組のタイアップという形でヒットしたのも平成らしいと思う。(バラエティ番組の曲ということですぐ思いついたのは、「白い雲のように」など。)そして「あいのり」という番組もまた、素人を観察するという形をとったこの時代らしいテレビ番組だった。

平原綾香 - Jupiter

2004年10月に新潟県中越地震が発生した際に、ラジオではこの曲が多くリクエストされたらしい。平成は震災を始めとする自然災害の脅威を痛感させられる時代だった。そんな中でこの曲は、被災者への励ましの歌として受容されていた。

一青窈 - ハナミズキ

カラオケのDAMによると、「平成で最も歌われた楽曲」らしい。通信カラオケが登場したのは1992年のことで、カラオケでよく歌われることがヒットの条件となったのもこの時代だった。

平成で最も歌われた楽曲は「ハナミズキ」 DAM平成カラオケランキング発表、歌手別1位は浜崎あゆみ | BARKS

河口恭吾 - 桜

森山直太朗のさくら(独唱)や、コブクロの桜なんかもリリース時期はそれほど離れていない。平成というより、2000年代中期は「桜ソング」がやたらと流行っていた。

ハナミズキにも共通するが、こういったピアノやアコギとストリングスが入ったようなバラード曲もこの時代のJ-POPらしいと思う。

大塚愛 - さくらん

エイベックスが音楽レーベルを始めたのは1989年のことで、1990年代にはTRF安室奈美恵などの「小室ファミリー」を大ヒットさせ、それ以降も浜崎あゆみ大塚愛倖田來未らを送り出し日本のポピュラー音楽シーンに新たな勢力を築いた。

DREAMS COME TRUE - やさしいキスをして

ドリカムも平成を通じて活動してきた、この時代を代表するグループと言える。

以下の文章は、もう閲覧できなくなってしまったが、毎日新聞社のサイトに掲載されていた「週刊「1億人の平成史」速水健朗さんが語る「平成初期論」」から引用したものだ。

恋愛が、80年代のユーミンに代表される洗練された都市型から、90年代のドリカムに代表される「見えを張らない」形に変わった、と。それは、「J化」「J回帰」と言われる現象と関係がありそうですね。見えを張った西欧崇拝から、見えを張らないですむ日本文化へ回帰した、と。

また、個人的な記憶としては、母がこの曲を自身の携帯の「着メロ」にしていたことを思い出す。

SMAP - 世界に一つだけの花

間違いなく平成を代表する流行曲だと思う。ヒットの大きさ、SMAPというグループ、楽曲の内容どれをとってもこの時代のものだ。

発売は2003年の3月5日だが、超ロングヒットしたため2004年初頭にもオリコンチャートの上位に入っている。

SMAPは、昭和のスター的なアイドル像とは異なり、メンバーそれぞれが親しみやすいキャラクターを持ち、テレビを中心にマルチに活躍するタレントという新たなアイドル像を示して国民的なグループとなった。彼らは平成の終わりを待たずしてグループ活動を終了した。

この曲の詞の内容も、「ゆとり教育」の内容とも重なるような、競争ではなく「個性」を賛美するもので、この時代の空気感を反映している。

 

以上、企画も文章も雑だったが、思いついたことがあれば訂正や追記をしたい。